宮城淳のプロフィール!テニスを始めたのが遅いのに成績がすごい!引退後はまさかの職業へ

宮城淳

全米ダブルス選手権男子で日本唯一の4大大会制覇を成し遂げた宮城淳(みやぎあつし)さんが死去しました。

膀胱がんを患わっており、89歳でした。

戦後の日本のテニス界を背負っていたといっても過言でない成績。

調べてみると、実はテニスを始めたのは結構遅かったということもわかりました!

今回は宮城淳さんのプロフィールやテニスの成績について見ていきます!

宮城淳さんのプロフィールを紹介

最初に宮城淳のプロフィールについて見ていこうと思います!

宮城淳さんは東京都大田区出身で、有名なテニス一家に産まれました。

学校については早稲田大学に進学しています、テニスだけじゃなくて頭もいいんですねぇ。

大学卒業後はゼネラル物産に勤務をしているということです、こう見ると一見テニスにあまり関わりが内容に見えますね。

宮城淳さんのテニスのスタートはいつ?

宮城淳さんはテニスで輝かしい成績を残しています。

生まれも有名なテニス一家で、幼少の頃からスパルタでテニスをしていたのかと思ったら

宮城淳さんがテニスを始めたのは早稲田大学に進学してからでした。

そこから男子テニス国別対抗戦・デビスカップの日本代表選手に選ばれるなど、一気に強豪選手に育っていきました。

やっぱり、テニス一家の有能な血筋だったんでしょうか、、、シンデレラストーリーですね。

宮城淳さんのテニスの戦績がすごい!

大学からテニスを始めた宮城淳さんですが、日本代表選手へあっという間に成長し、国際大会でもしっかりと成績を残しています。

日本で国際大会で大会で活躍するって、かなりの注目度ですよね。

今で言えば松岡修造さんや錦織圭、大坂なおみさといった超注目選手ばっかり。

どんな成績を残しているのでしょうか?

宮城淳さんは国際大会で優勝も!

宮城淳さんは1955年に加茂公成選手とともに男子ダブルスで日本人男子選手として初の4大大会優勝を成し遂げます!

ダブルスだけでなく、男子シングルスでも全米選手権に出場しています。

それも1952年から1955年の間ずっと出場していました。

また、選手だけじゃなく、1962年と1963年では自ら日本代表監督を務めるなど、活躍の場は多岐に渡ります。

選手としても監督としても活躍していた、テニスのスーパーエリートなんですね。

宮城淳さんはテニスの引退後はなにをしていた?

選手として、監督としても活躍していた宮城淳さん。

選手を引退した後はなにをしていたのでしょうか。

宮城淳さんは引退後、母校の早稲田大学のテニス部監督、日本テニス協会専務理事、そして早稲田大学人間科学部教授といった要職に就いています。

テニスプレーヤーから、大学教授になるなんて、、、

現代でいうところ、ハンマー投げの室伏広治さんが選手引退後大学の教授になっていますが、まさに同等の経歴。

どれだけ偉大な人だったか、人類の兄貴室伏広治と同じ経歴を考えただけでもわかります。

宮城淳さんは大学からテニスを始め日本代表、そして最後は教授へ!

今回はテニス会のレジェンド宮城淳さんについて見ていきました。

東京の有名なテニス一家に生まれた宮城淳さんですが、テニスを始めたのは大学生から。

そこから日本代表となり、全米選手権ダブルス優勝、更には日本代表監督まで努めていました。

引退後は母校であるテニス部監督に大学教授にもなっています。

めっちゃすごい方だったんですね。

宮城淳さんの、ご冥福をお祈りします。

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